Lab-Cafe Story 005 – 児玉先生との出会い -

Lab-Cafeに関するインスピレーションが降ってきた時に、まず思いついたのが当時すでに色々お世話になっていた学習塾の事務所を改造することでした。我々の”ボス”はその学習塾のファウンダーの内の一人なのですが、その児玉先生とお会いすることができたのもUCLA経由でした。なんと日本の学習塾が、リクルートにアメリカの大学で説明会をしてたんです。でも、いろんな企業がリクルートに来る中「なんか他と違って面白そうな企業だったからそっち(日本)で会ってみたら?」と迫くんから連絡が来たのが、多分2006年だったと思います。多分同じ時期だと思いますが、TEDxTodai(当時はUTokyo)でスピーカーをお願いした芳樹(漢字チェク)さんや今は楽天役員の北川くん達も児玉先生と出会っています。その時もリクルーティングの説明会で、「他の企業と全くちがって、教育とは何か話してて会社の話全然しなくて面白そうで仲良くなった」という話を聞きました。ハーバードは、今もLab-Cafeでお世話になっている写真家のシギーさんが案内役で、たくさんのハーバードに留学してる日本人学生にかたっぱしからメールしたら会ってくれたのが芳樹(漢字チェク)さんたちだったそうです。何が言いたいかというと、我々のボスは教育への思いがあり、理念があり、そしてそもそも面白い人なのでなんか一緒にやりたいなぁと学生ながら思う人であり、お陰でLab-Cafeはできたのですということです。

たしか、最初は新規事業の一部をお手伝いしていたんですが、一個前の記事でご紹介したLA→ハワイから帰国した直後、とりあえず、「毎日あいてるサイエンスカフェみたいなもの」というイメージで、仲間を集めました。嬉しい誤算だったのは、東大の駒場時代、理23・19組の友人たちも参加してくれたことです。多分最初に声をかけたのは、今は鳥取大学の教員をやっている三浦さんだったと思います。三浦さん、南部さんとは2006年のIAC(国際宇宙学会)バレンシア大会におけるJAXA派遣学生の同期で出会っています。このJAXA学生派遣は大変素晴らしい取り組みで、当時IAF会長だった五代先生(H2ロケットの父)が各国宇宙機関に提案し実現した企画でこれがあるから今があるようなものです。五代先生には今でもお世話になっていて、この学生派遣に関してはまた後日述べたいと思います。バレンシアでは、多くの同志ができまして、特に三浦さんも入れて4人でホテルの部屋でCAVAや生ハム、フォアグラなどちょっとしたアクシデントで大量に消費せざるをえなくなって、めっちゃ盛り上がりながら飲み会をしたのが良い思い出です。日本人しかいないのに、英語だけで会話(しかも流暢でない)して、ほんとに謎に面白かったです。

児玉先生へのプレゼンは、直前に近くのスタバで話し合って作った、三浦さんによる手書きのA41枚のプレゼンペーパーでした。今思い出すと、ISASノートパッドだったと思います!いや、今突然鮮明に思い出しました。Lab-Cafeは宇宙研の先生や学生たちが使っている(当時すでにJAXAだったのにこだわって使っている) ISASノートパッドから生まれたんですね、これは嬉しい。この1枚の紙ペラだけを持って、児玉先生とシギーさんのもとに参上したのが2007年の6月くらい、児玉先生は我々の口上を聞くと、「ちゃんと読みました?」と確認したくなるほどの素早さで「いいじゃないか、やろう、応援します」との宣言をしてくれました。この時こそが、Lab-Cafeが実現することになった瞬間だったのです。

児玉先生とOxfordにて2008.10 Photo by Shiggy
児玉先生とOxfordにて2008.10 Photo by Shiggy

その紙、スキャンデータと本体がどっかにあるんですが見つからなくて。見つけたらご紹介したいです。

たしか、前半がコンセプト3つ。

・夜ゆっくりできる居心地が良い場所

・肩書きに関係のない仲間を見つけられる場所

・仲間とともに何かに挑戦できる場所

後半が、運用時間やチーム編成など。だったと思います。最初は、赤門前にある事務所の内装をカフェに変更し、夜の業務外の時間を学生に開放してはどうか?という提案でした。でも児玉先生が「ま、新しく借りて作ったほうがいいよ」との一言で、場所探しなどからスタートすることになったのです。その日から週に1回、赤門正面のオフィスを借りてミーティングをして完成にこぎつけたのです。そういえば最初は「東大本郷キャンパス横に深夜営業のサイエンスコミュニティーカフェを作る会」でしたね。

ミーティング風景、左から三浦さん、南部さん、Shiggyさん。
ミーティング風景、左から三浦さん、南部さん、Shiggyさん。